善光寺の棟木(柳の精の物語)

 

甲斐の国の高畑村というところに 樹齢数千年はあろうかという それはそれは見事な柳の老木が生えていました

この高畑村には 一人のりりしい若者が住んでいて となり村に住む貧しい百姓の娘と毎夜 あいびきを重ねていました
娘は十六歳ばかり 貧しい農家に育ちましたが 容姿端麗で 心優しく
織物や裁縫のひまひまに 和歌の道にも励んでいたので 両親は特別かわいがっていました

ある夜のこと 若者は目にいっぱい涙をため 悲しそうな顔をして 娘がくるのを待っていました
しばらくすると きれいに着飾った娘がやってきて 若者にどうしたのかと聞きました
すると 若者は

「実は あなたと夫婦になる約束までしていましたが 今夜限りで 会うことができなくなってしまうのです」

と 泣き泣き答えました
あまりにも突然の話なので 娘は大変驚いて なお詳しく事情をたずねました
すると若者は

「わたくしは 本当は人間ではなく 柳の木の精なのです
 あるときあなたが 私のそばを通りかかるのを見て その美しさにすっかり魅せられてしまい
 人間の姿になってあなたのところに通ったのです
 ところが今度 善光寺の本堂を作ることになり 明日 わたくしは命を失うことになったのです
 わたくしは切り倒されても 千人や二千人の力では決して動かせません
 そのときは あなたが 一声 ”動いてください” と 言ってください
 そうすれば わたくしは楽々と動くようになります
 では・・・ これで お別れです」

と 言ったかと思うと たちまち若者の姿は消えてしまいました

娘は あぜんとして しかし名残り惜しく また 恐ろしくもありました

あくる朝 とうとう柳の木は切り倒されてしまいました
そして その木をみんなで運ぼうとしましたが 若者が言っていたとおり ピクとも動きません

役人衆が困っていると そこに娘が現れ
「わたくしにおまかせください」

と言って 大木に何やらささやきました
すると どうでしょう
不思議なことに あれほど大勢の人が 力をあわせても動かなかった大木が 苦もなく動き出したではありませんか

やがて その柳の木を使って 東国一という 立派な本堂が出来上がりました

そして 貧しかった娘は その功績が認められ 莫大な褒美をもらい 幸せに暮らしたと言うことです


  甲斐善光寺の歴史

善光寺は 開基武田信玄公が 川中島の合戦の折 信濃善光寺の焼失を恐れ 永禄元年(1558) 御本尊善光寺如来像をはじめ 諸仏寺宝類を奉還したことに始まります

その後武田氏滅亡により 御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々と致しましたが 慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました

甲府では新たに 前立仏を御本尊と定め 現在に至っております

武田信玄建立の七堂伽籃は 宝暦四年(1754) 門前の焼失により 灰燼に帰してしまいました
現在の金堂・山門は 寛政四年(1796) に再建されました

金堂は 善光寺建築に特有の撞木造りと呼ばれる形式で立てられています
総高27メートル 総奥行49メートル
金堂下には お戒壇巡りもあり 鍵を触れることによって 御本尊様と御縁を結んでいただけます

 

ちょっと寄り道

薬師堂と三河鳳来寺薬師・・・

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