遠妙寺(おんみょうじ)



山梨県有数の温泉街である石和・・・
ここには有名な鵜飼勘作と日蓮上人の言い伝えがあります
では まず最初に鵜飼勘作の伝説を紹介しましょう


鵜飼勘作の話


鵜飼で生計を立てていた勘作という者がいました
勘作は 能登の国に流された平時忠であるとも また壇ノ浦で敗れた平家の縁者とも伝えられています

ある日 勘作は法城山観音寺の定めた殺生禁断の流域で漁をしていたため捕らえられ す巻きにされて岩落の水底に沈められてしまいました
たとえ禁をやぶったにしてもこの処罰は情け容赦のない仕打ちでした

当時 観音寺は甲斐源氏の流れをくむ武田家の庇護のもとに 大きな権力をふるっていましたので 平家という生まれが憎まれたのでしょうか・・・

水底に沈められた勘作の恨みは亡霊となって毎夜鵜飼川(石和川)のほとりに現れ 土地の人々を悩ましました

ある時 この地を通りかかった日蓮上人は 村人の話を聞き 勘作の霊を静め 村人を安心させようと弟子の日向上人がする墨で 日朗上人の集めた石に法華経一部八巻・六万九千三百八十余字を 三日三夜かかって書き上げその一字一石の経石を 岩落の水底に沈めながら亡霊の供養をしました

すると亡霊はたちまち心を鎮めて 再び現れることはなかったといいます

その折、日蓮上人はこの川のほとりに小さな塚を作って去りました

その後 この地に鵜飼堂が建立され 鵜飼山遠妙寺(おんみょうじ)のもととなりました
その後に世阿弥元清がこの話を謡曲の 「鵜飼」 に書き上げて広く紹介しました

この伝説を生んだ法城山観音寺は 後に織田信長の兵火で焼かれ 往時をしのぶものも少なくなりました


遠妙寺を訪ねて


当山の由来・・・ (掲示板より)

当山は 往昔文永十一年夏の頃 高祖日蓮大上人御弟子 日朗 日向両上人と共に 当国御巡化の砌り鵜飼漁翁(平大納言時忠郷)の亡霊に面接し 之を済度し即ち法華経一部八巻六万九千三百八十余字を河原の小石一石に一字ずつ書写され 鵜飼川の水底に沈め 三日三夜に亘り施餓鬼供養を営み彼の亡霊を成仏得脱せしめた霊場であります

之に従って当山は 「宗門川施餓鬼根本道場」 として広く信徒に知られ又謡曲 「鵜飼」 はこの縁起によって作られたものであります







謡曲 「鵜飼」 と 鵜飼勘作・・・ (掲示板より)

謡曲 「鵜飼」 は殺生を戒め 法華の功徳を説いた曲で 日蓮の高徳説話の一つである
安房国清澄の僧(日蓮)が甲斐国石和に行き 川端の堂に泊っていると鵜飼の老人が来る

従僧がこの老人は二、三年前に摂待を受けた漁翁に似ているというと 老人は実はその亡霊であるという

そして僧の言葉に従って懺悔のために鵜飼の様を語り 回向を願って消え失せる
僧が法華経の句を一石に一字を書いて川に授け回向していると閻魔王が現れ かの鵜飼は罪深くて地獄に堕つべき者であったが 僧を摂待した功徳によって これからは極楽に送るのであると語る


日蓮上人が使用した硯の水の井戸・・・ 御硯井戸と鵜飼勘作像はこちらから

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