さらに一行は追っ手を逃れるため、甲斐の秋山、無生野まで来たとき、折悪しく雛鶴姫は産気づいてしまったのです。
供の者達はやむなく、木の葉を集めてしとねを作り、そこを産所として、姫は皇子を産みました。
しかし、時は師走、吹く風冷たく、その寒さと疲労の為に供の懸命な祈りも空しく、姫も皇子も亡くなられてしまったのです。
あまりの悲しさに、供の者達は姫と皇子の亡骸を近くに葬り、護良親王の御首及び錦旗を甲斐の石船神社に祀りました。
「雛鶴峠」 は、雛鶴姫が愛する護良親王の御首を抱き、涙ながらに越えた峠を、
「無生野」 は、宿る家もなく、姫も皇子も短い命を散らせた無常野のことを指して名付けたと伝えられています。
そして、山梨県秋山村には無生野念仏というのがあって、これは護良親王の悲劇にまつわる人々の魂を鎮めるために、始められたそうです。
護良親王を奉斎する鎌倉宮

土牢や御構廟 (御首を置いたとされる処 )が拝見できます