西原五輪塔群のその後・・・

 

 (2000年、12月)

初めて訪問した時の画像です。

ようやく訪問する事が出来た感動・・・素朴で飾り気の無い雰囲気でした。

薄幸な西野姫を偲んで合掌すると、彼女の、そして明慶院一族の運命に哀しいものを感じました。

遠い戦国の世、このような運命を背負った人々が数多くいたでしょう。

伝説の話ではありますが、西野姫の一途な武田氏への思い、いつまでも絶やすことなく語り継いで欲しいと思います・・・

 


「このフェンスの中に、五輪塔があります」


「枯草の中に、幾つもの五輪塔が集められていました」

 

 

ある日、自分の元にメールが送られてきました。

その内容を拝見して、びっくり・・・

送信人は、西原五輪塔群を管理している個人宅の御主人さまからのメール。

近く五輪塔を整備する関係で、以前はどんな姿だったのだろうかと思い、ネット検索をかけたところで我サイトにたどり着いたとの事でした。

「HPで五輪塔を紹介して頂き、ありがとうございました」 という内容でした。

「先代の父も、さぞかし喜んでいると思いますし、親戚一同、皆で感謝しています・・・」

 


2002年・春 (石和合戦の前日訪問撮影)


2002年・冬 (芦沢氏提供)

 

その後、芦沢氏より五輪塔の整理が完了したとの御報告と、撮影した多くの画像を頂きました。

また、飲兵衛管理人のことを知ってか、勝沼ワインまでも(超嬉)

本年の春には武田関連のお祭り特大ポスター等も、送付して頂きました!!

ネットで生まれたお付き合い・・・オフ会以外に、こうした触れ合いが生まれるとは思ってもみませんでした。

まさしく、「疾風のたより」 を開設した当初の思い・・・

『このサイトを立ち上げましたその原点は、小さな伝承を忘れずに、後の子供達にも伝えたい、伝承の地である故郷の疾風(かぜ)をいつまでも感じて欲しい、という思いがあったからなのです』

この考えが少しでも芽吹いたのかなぁ、と、自己満足しております(爆)

 


2003年・晩冬 (芦沢氏提供)


 2003年・春 (芦沢氏提供)

 

甲斐国志に、こんな記述があります。
巻之百十四 土庶部第十三 巨麻郡西郡筋

中込和泉守道昌(西野村)

伝本村ニ和田、清水、金丸ト云三氏アリ、二人ハ他ニ移リ、金丸ノミ留リ的場ト云処ニ住シ、武田家ノ姑夫トナル

法名明慶(今古塚アリ明慶塚ト呼ブ)

和泉ハ金丸ノ親族ナリ ・・・(中略)・・・

和泉ニ男子無シ、下山ノ芦沢伊賀守元辰ノ三男甚三郎辰久ヲ養子トス、後ニ頼母ト改ム、

是ヨリ子孫芦沢氏ヲ冒ス、今里長等皆其裔ナリト云、和泉ノ墓ハ八幡ト祀リテ在リ

この記述の中に、明慶という名前が見えますね。

あの、明慶院一族とは異なるかもしれませんが、代々この地に住を構える氏が、「明慶」の名を何らかの形で引き継いできた・・・

そう思わずにはいられません。

口碑の中で脈々と受け継ぎ、それがこの西野姫伝説というものに姿を変えたのでは?

伝承と歴史の接点、本当に面白いですね!

 

最後になりますが、このサイトが出来ましたのも、

白根町役場広報担当の皆さま、西野にお住まいである芦沢さまのおかげでございます。

御礼を申上げますと共に、今後とも御教授・御鞭撻の程、宜しくお願い致します。

「どうもありがとうございました」

 

 

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