黒雲と腹切松
悲劇の主人公、三浦大介義明公は、三浦半島、特に衣笠周辺では頼朝に勝るとも劣らぬヒーローです。
伝説もまた数々残されていますが、ここでは愛馬黒雲と腹切松についてお伝えしましょう。
治承四年、衣笠城は畠山・江戸・川越氏らにすっかり包囲されました。
もうこれまでと悟った大介公は、二男義澄以下の者を安房の国へ向わせ、頼朝をたすけるように命令しました。
一人で衣笠城に残った大介公は最後に自分の先祖を祀ってある清雲寺に赴くため、残した僧を従えて、愛馬 「黒雲」 にまたがり、敵の監視を逃れながら清雲寺に向いました。
ところが大介公の乗っている 「黒雲」 は、一本の老松の下まで来ると、急に止まってしまい、鞭を加えても石のようになっていっこうに動こうとしません。
これまで、長い年月にわたって常に忠実であった 「黒雲」 が・・・
「この場において主の言うなりにならぬのは、きっと何かあるに違いない。
ことによると、この老松の下が我が身に神から授かった最期の場所にちがいない。
それを愛馬が教えてくれたのだ・・・」
そう悟った大介公は、いつになくうつむいた愛馬に別れを告げると、静かに鎧を脱いで老松の下に座り、二人の僧が経文を読み上げる中で静かに目を閉じ、銘刀 「国光」 で切腹し、果てました。
時に大介公八九歳。
このとき大介公は、愛馬に
「後に、また良き主人を得て仕えよ」
と告げて、放したところ、馬は一気に真っ直ぐ走り、向いの山の山頂近くまで駆け上り、舌を噛み切って大介公の死に殉じたといわれています。
里人は 「黒雲」 の忠節ぶりを感じ、そこへ祠を建て霊を祀りました。
三浦大介百六つ
建久八年、義明公の首塚を訪れた頼朝は、墓に向かい忠節に謝すると共に、討死にした義介公の霊に向って
「そちが、今日まで生き長らえて居たらと思うと・・・」
と、語りかけていたそうです。
ちょうど義介公の死後十七年目であり、八九歳で亡くなった義介公に、十七年の命を加算して百六歳の長寿を保ったことになったことから
「鶴は千年、亀は万年、三浦の大介百六つ」
の祝い詞となりました。
満昌寺には釈迦如来像があり、この像には
「相模国三浦大介義明、百六迄の守本尊」
と朱書きされていて、この祝い言葉の起源を知る上での貴重な史料にもなっています。
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