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巻之一

 

甲斐国韮崎合戦の事

武田晴信父を追うの後、諏訪頼茂、小笠原長時、多兵にて甲斐に攻め入り、韮崎にて一日の中に合戦四度に及ぶ。

晴信韮崎に向う時、諏訪小笠原のもとに所縁ある者、原加賀守を始めとして、数多く甲府に残されければ。

原、人々に向い、今日の合戦に各々たち功名をとげるべき時、留め置かれるは二心を疑いての事なり。

敵にあいて討死にせん事、勇士の志に候とて、我先にと韮崎に馳せ行けり。

此時、晴信軍する事三度、戦い疲れたる所に頼重、長時、一手になりて進み来りければ、既に危うく見えしかども。

原が来るに、力を得て勇み進む晴信。

原を呼びて其志を感じ、日向、今井等を後ろに控えさせ、競いかかる敵に当りて打ち破られけり。

是、晴信、士を激励の謀にて、わざと原等を甲府に残されしなるべし。

 

上杉謙信大人気ある事

徳川家康、使を発して好を上杉謙信に通じ、武田信玄を挟み撃たんと請いけるに、折しも村上義清及び其子国清、越後に身を寄せしかば、努めて之を賛成し、遂に挟撃の議に決し。

元亀三年四月、謙信壱万人を「率いて信州に打出られ、火を長沼にはなって遙に徳川の声援をなしけるに。

此時信玄の子勝頼、伊奈にありけるが、その警めを聞き、直ちに兵八百を以って赴き防がんとなしけるを。

謙信遙に此の体を見て曰く、彼れ敢えて少ない兵を以って我に当らんとす、信玄の児たるに恥じず、吾その勇を成さしめんと兵を引て還りけるとなん。

 

上杉謙信塩を甲斐に送る事

武田信玄の領国は甲信二カ国にして、いずれも海によらざれば塩を自国に取ることかなわずして、遠く東海北條の領国に仰ぐ事なり。

氏真、北條氏康と謀りて密かにその塩を閉じて甲信に送ることを止めたりける程に。

甲信両国の人民はもとより兵士も亦、大いに苦しみ一種の兵糧攻めに異ならざりける。

上杉謙信、之を聞き、信玄に書を寄せて云いけるよう聞く。

氏康、氏真君を苦しむるに塩を以てすと、是れ不勇不義の極めなり。

我れ公と争う所は弓箭にありて米塩にあらず。

請う今より以て塩を我国に取られ候へ。

多き少なき、唯、命のままなりと、やがて売人に命じ価を平にして之を給しける。

 

板垣信形饗応黒白を分る事

武田信玄は豪雄にして近国に適する者なく、向うとして勝たざることなかりけるに。

天文十五年は別けて数度合戦ありしといえども、甲府勢何時も勝利を得れば、皆勇まずと云う者なし。

殊に板垣駿河守信形は剛勇の大将なれば、此の上にも甲府勢を何分励まさんと思うにより、広き仮屋を建て来る十月六日、諸将へ申入度旨ありと触れけるに依り、諸将士、我も我もと参会なすにぞ。

信形は亭主の役とて衣服を改め立出て礼終わりて後、此度各々へ申入れる事、余の儀にあらず。

数度合戦に高名せられし方々を饗応仕り度く、一同を招待申せしにより。

今日は平常の例に拘わらず、陪臣たりといえども手柄ある人には高座を輿へ、その優劣を分別申なり。

銘々、恥辱を思い給わば随分高名致さるべしとて先ず座を改めけるに。

原美濃守、飯富虎昌、小幡虎盛を始め数度軍功ありし人々は皆上座に据え、晴信の舎弟、武田孫六信連、今福善九郎、跡部大炊之介、長坂左衛門を始め軍功なき人々は貴豪といえども真田が郎党相木森之助、筧十兵衛などの下座に座らせける程に。

軍功なき人々は甚だ面目を失いけり。

その後、饗応も三段に区別、上の部は朱椀にて三の膳付、中の部は朱椀にて二の膳付、下の部は黒椀にて本膳ばかりなり。

上中の膳部は魚鳥を用いて結構なりはるに、下の部は皆粗末なる精進料理を進めければ、武田、跡部、今福、長坂を始め大に赤面して不興気にぞ見えにける。

やがて信形席上に出て申けるは、今日の饗応はひがむ事の様なれども決して然にあらず。

数度の合戦に一度も敵の首を取られざる方々は、慈悲心深くして後生を大事に懸給う故に、殺生を好まざると覚える。

左様な人々は平生五戒を保ちて精進し給うらん。

その御方に信形、魚鳥を与え破壊をさせんは本意にあらず、それ故、斯くは謀い候と申ければ。

軍功ある者はひとしお輿を催し賑わうといえども、軍功なき人はいよいよ面目を失い、こそこそと退出し、誠に稀有なる饗応やと笑いの種にぞなりにける。

 

真田昌幸智謀北條勢を破る事

薩捶嶺の役、初戦に武田方の先鋒山県昌景大に敗れければ、信玄その先鋒を繰代え真田安房守昌幸をして次回の先鋒なしける程に。

昌幸は手勢僅かに二十八騎を従え敵陣を見積もりけるに。

山県敗れて後は北條勢大に勇み薩捶嶺倉澤山に陣を取り、山風に旗指物をひるがえし悠然と控えたり。

昌幸密かに敵陣を窺い、何やらん打ち頷くの体なりしが、やがて馬を返して我が陣にぞ帰られける。

かくて兄信綱を招かんとて使を遣わしけるに、早や信綱は穴山、木辻、浅見、根津、望月、樫山など一騎当千の兵八百余人を従えて昌幸の陣所に来りければ。

善き所へ来られしと、かねて設けの酒宴の席を開きければ、信綱いぶかり汝如何なる謀を以って此の大敵を破らんとするや。

此の大敵を前に控えて酒宴とは心得ぬと問いければ、昌幸笑いて謀は密なるを以って良とす。

故に今、敢えて爰に云わず。

先ず気を静めて酒飲み給えとありければ、信綱心に此度は如何なる謀を用いるならんかと想いつつ居たり。

昌幸、暫くして布下弥四郎を呼び近付け、其の方は是より此のほとりにて酒を求め来るべし。

いで早々と命じければ、布下はかしこまり候と急ぎ諸方を駆け回り、数多くの酒を求め来るを昌幸大に悦び、ことごとく皆、酒樽の鏡を打抜かせ、是に柄杓を添え諸卒を呼び出し。

如何に汝等、今日は別けて余りの寒さ堪え難くはあらずや、因って皆々打ち寄りて此の酒を飲み寒気を凌ぐべしとして、兵糧炊の大釜に味噌汁を沸かせ、一人ごとに柄杓をあたえければ皆々喜ぶこと限りなく。

大将よりの御許しにて寒気を凌ぐ嬉しさよと、我も我もと酒を呑み舞うもあれば歌うもありて、さも勇々しくぞ見えにける。

信綱苦々しき体にて昌幸に向かい、こは何等の振舞いなるぞ、陣中において諸卒に酒を飲ましめば必定過ちあらん。

此義は無用なるべしと云えば、昌幸答えて先々見給うべし。

我、胸に一計ありとて士卒を呼び、何と皆々酒を飲み寒気をも忘れしかと問えば、皆一同に然候、大将の御情けにて寒気を凌ぎ手足暖まり候と舌鼓を打ち鳴らして笑い楽しむの体なりしかば。

昌幸指差しあれ見よ方々、薩捶嶺倉澤山の峠等に備えし敵兵さこそ寒きことならめ、弓を引くにも鉄砲を放つにも手、屈まり駈引き自由ならざらん。

平地にある汝等さえも寒気烈しき故、酒にて暖まりしならずや、此の勢いにてかの敵を一当あてんは如何にぞやと申ければ、皆々躍り上がりて勇み立ち、是こそ望む所なれ。

酒を給いし其代りに功名して敵の首を肴に又々祝いの酒宴を仕らんと、力足を踏み鳴らしてぞ悦びける程に。

昌幸令してさらば打立つべしと真先かけて馬を出しければ、誰か、ためらうべき我劣らじと三千余人酒の勢いに川を渡りて薩捶嶺へ押し登りけるに。

折節雨霰降りて寒気殊に厳しかりければ、峠に控えたる北條勢、寒気を凌がん為皆々峠を下りて民家に入り。

陣所陣所は唯、旗指物のみ建て置きて一人も居らざりしかば、昌幸令して早く小屋へ火を掛け鎧武具は望み次第分取りせよ。

各々高名はこの時なりと大音に呼ばりければ、皆々勇気日頃に十倍し、陣々に火を掛けしにぞ、北條勢大に肝を消し。

残りし兵士ども我先にと逃げ走りける。

 

羽柴秀吉遠計を以て信玄を欺く事

武田信玄、北條と戦いけるに大に打勝ければ、勝鬨の式をとり行いて甲府へ凱旋せんとて諸勢をまとめ引き揚げつつ、勝手大明神と云う社の前に来掛りしに。

如何致しけん信玄の馬、忽ち躍り上りて信玄落馬なしければ、近習の諸将大に驚きて介抱せしに、左までのこともなかりしかば乗物に移られ、此社は何と申す神なるぞと尋ねけるに。

近習の者、何気なく答えて是は勝手大明神と称し候と申ければ、信玄思うよう勝手と云う神の前で我が落馬せしこと如何にも不審やと心に掛けつつ、甲府にぞ帰られける。

爰に織田信長は当時近畿に威を震い、何卒天下一統の志を立んと思いけるに所に、何分にも信玄の威勢に当り難きにより百方心を砕きけるが。

家臣羽柴秀吉その身京都にありて諸国に間者を入れて国々の変わりを窺いける所に、此度武田信玄、今川を攻潰し、北條の後詰と戦いしが、真田の謀を以って北條家の大軍を破り。

その後甲府へ帰陣の途中、信玄、勝手大明神の前にて落馬せし事まで詳しく告げ来りしかば、秀吉大に悦び既に信玄が命を縮むる時至れりと密かに一首の歌を作りて甲府へ遣わし、間者に之を詠わせ何国ともなく流行らせける。

即ちその歌に 「頼む甲斐なきにつけては誓いなし勝手の神の名こそ惜しけれ」

信玄は落馬の後、色々と心に掛けて書夜案じ煩い、若しや我が命の限りし兆候にもやありなんかと快々として楽しまざりける。

折から甲府近辺、怪しき歌の流行ければ、信玄さては我が命限れる前兆なること疑い無し。

我が大望、水の泡となりぬるかと此事を明け暮れとなく苦に病み、日増しに疲労けるにより、諸方の名医を集えて種々治療を加えられけるに。

全くその甲斐無く、今は早や食事も進まぬ程になりぬれば、甲府の諸将大に驚き、さてはこれほど何国ともなく怪しき歌の流行だせしは。

此の記しの始めにてありけるかと皆々恐れをいただき、安き心地もなかりける。

真田昌幸、之を聞きてさては織田家の猿冠者めが所業にて我が君を欺きしよな。

いでや我が君の病を癒さんとて甲府へ来り、急ぎ登城して信玄の病床を訪ね奉りしに、信玄頼み少なの体におわしければ、昌幸進み寄り、君の御病態は如何に候やと伺いしに、信玄答えて甚だ苦し。

我れ此度は所詮本復覚束なしと、糸の如き甚だしと細りし声を振り放ちてのたまえば、昌幸、之を承り君の御病気の根元を直さん良薬あり、之を用い給はば忽ち平癒すべしと聞き。

信玄起き直りてそれは如何なる良薬ぞと尋ねけるに、昌幸答えて後病根は頼む甲斐なきにつけては誓いなし。

勝手の神の名こそ惜しけれの歌に候わんと申せしかば、信玄驚き、汝我が病根を如何にして知りたるぞと問いけるに。

昌幸笑いて是は信長の家臣羽柴が謀にして、是ぞ人を欺く子房が智略なり、君欺かれて萬金にも替え難き尊命を失い給いそと申しければ。

信玄はたと膝打ち叩き、我ながら愚かなりこと限りなく悦び、汝が一言に因りて我が病、最早癒えたり。

早々北條と撃ちて上洛を遂げ、かねての望みを果さんとあれば、昌幸も共に喜び。

童子が歌を以って我が君の命を縮めんとせし秀吉こそ面、憎けれ、我、此の返報に一の書簡を以って、秀吉が肝を冷してくれようと大に怒れば。

信玄昌幸が智略を感じ、古今に又も得難き名士なりとて、信州上田の城を与えしにより昌幸恩を謝し、是により上田の城へ移りしが。

その後昌幸何やらん書簡をしたためて京都へぞ送りける。

この時羽柴秀吉は京都の政事を掌り居たりしが、甲府へ入置き間者より、信玄此方の謀に当り病床に打ち臥せし由の注進を聞いて心中大いに悦び、或が謀既になれり。

信玄を亡うこと近きにありと独り笑みしてありける所、信州上田の城主真田安房守方より使者入来の由告げしかば。

秀吉怪しみ昌幸は漸く此頃上田の城を与えられしと聞きつるに、何用ありて我が方へは書簡を送りしぞ、是、武田は近頃織田の縁者となりぬれば。

定めて通例の見舞なるべしと想いつつその使者を呼び入れ、昌幸が書簡を開き見れば、あにはからんや他の文言とては一もなく、唯一首の和歌なり。

即ちその歌に 「難波津の葦わけ舟にをどされて菅の庭鳥立ちさわぐなり」

秀吉之を見てややしばし考えしと云えども、当時は軍事に紛れて未だ和歌の心掛けなかりしかば、更にその意を得ず。

繰り返し繰り返し読み居たりし所へ竹中半兵衛重治来りければ、秀吉大に悦び、竹中氏よき所へ来られたれ、今武田家の臣、真田昌幸方より斯く怪しの歌送れり。

其按ずるに我が不学なるを侮り体もなき歌を以って我を迷わし、返辞の様子を探らん為なるべし、憎き真田めが振舞いかな。

いでや引き裂き捨てんずと大に怒りけるを、竹中押し止めて真田昌幸は未だ若輩なりと云えども、中々尋常の者にあらず。

何ぞ童の戯れをなさんや、して其歌は何と申送りぞと尋ねければ、秀吉彼の歌を出し竹中に見せければ、重治之を篤と見て眉をひそめ。

難波津の葦わけ舟とは誰を指したる言葉かは知らず。

但し菅の庭鳥とは歌道の秘密にして蛙の事とか聞き及びぬ。

立ち騒ぐとは心得ずと考え居しが、暫くありて手を打ち、一度は驚き一度は感じ、さて恐ろしき真田かな。

先だって君の謀りにて甲府表に童謡を流行らせ、信玄が心を苦しめしを彼、必定此方の謀略なりと察して、斯かる蛙のなす如き事は幾度行くとも葦分舟となりて。

謀略の穴を見顕し立ち騒がせんとのことなるべしと申しければ、秀吉直立上りて憤り、我遠からず、彼昌幸が生首見ずんばあるべからずと。

以っての外に立腹なしけるにぞ、竹中笑いて昌幸は忠臣なり、君たる信玄あることを知りて他の信長公おわすことを知らず。

臣として君の為にするは理の当然なり、斯かる知謀の士を味方になすこと良将の工夫なれ。

何故に左は怒り給うぞと申しければ、秀吉大に笑い是れ偽りなり、斯かる智将を何とて闇々喪なわんや。

見給え秀吉が恩を施し、やがて幕下に付んものとて、真田が使者を重くもてなし、早々返書を認めて返されける。

深き意の程こそ凄まじけれ、秀吉より如何返事せしぞと披き見るに、其分甚だ丁寧にして怒りの心少しも見えざりければ、昌幸心中に怖れを抱き、誠に秀吉は地中の籠に等しき武士なりといやいや内心に感じける。

 

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