法泉寺の桜の木
法泉寺の勝頼公のお墓には桜の木が植えてあります
天正十年三月 勝頼の一族が田野で戦死すると 滝川の軍は勝頼の首を討ち取って甲府へ持ち帰りました
甲府の善光寺で織田信忠の実検に供し ついで信州にいた信長 市川にいた家康の実検を終えました
信長は後に 京都へ送って六条河原で さらし首にしました
京都妙心寺の南化和尚は かつて甲州に遊び 甲州の有様 武田氏の家筋などを知悉しているばかりでなく
武田氏の菩提寺の恵林寺が妙心寺の末寺である関係から 武田家を尊敬していました
それが今 勝頼の首が六条河原にさらされていると聞いて ぜひともその法要をおくりたいと思ったのです
南化和尚はその首をもらいうけて これを境内に葬って厚く供養を行いました
今も妙心寺の開山堂のかたわらに 勝頼父子の供養塔があります
その時 法泉寺の住職 快岳禅師がたまたま妙心寺にいて この会に出席していたのです
そこで禅師は勝頼の歯と髪をもらいうけて 甲斐へ帰りました
しかし当時は織田の残兵が所々の寺々にいて 乱暴を働いている最中でした
自分の寺もまたその宿泊所になっていたので とても帰山はおぼつかないと思いました
そこで 寺の遥か北方の山中に難を避け 土地の人々の尽力により 紫庵を構え約半年ばかりいました
そして翌年 帰住する事となり 勝頼の髪と歯を寺域に葬り 一株の桜を植えて標としたそうです
法泉寺小冊子を読んで・・・
法泉寺を訪れる前に マンノウォーは甲府にある県立図書館にて この小冊子を見つけました
そこで 法泉寺が武田勝頼公の菩提寺であると知ったのです
この法泉寺は 武田家七代 武田信武の開基であるそうです
武田信武は武略に長じ 治国安民の道にも通じ 殊に文事に明るく 和歌の達人として世に知られているとあります
また 篤く神仏を信じ 禅宗を奉じ 臨済の名僧夢窓国師 ならびに国師の高弟月舟周勲和尚に深く帰依
父の死に際し 深く無情を感じ ここに菩提所を開基するとした
さらに 時の住持快岳宗悦和尚が 勝頼の分骨を得 苦心して法泉寺にもたらし 境内に葬ったとあります
法泉寺を訪ねて・・・
ちょうどこのときは 武田神社の帰り道・・・
暖かい初秋の日で 天気もよく 汗ばむほどでした
緑ヶ丘スポーツ公園の野球場の裏に
「勝頼菩提寺 法泉寺参道入り口」
と 立て看板があり 判り易くて安心しました
ちょうど 日差しが照り差し 武田家の墓にしては
明るい印象に感じました
桜の季節に訪れば良かったと 後悔しました
勝頼の墓所の左手には 信武の墓所が隣接していました法泉寺第三世快岳禅師が武田勝頼の首級をもたらして
密かにこの地にうずめ その標として山桜を植えたのがこの桜である
この山桜は近郊に自生するものと種類が異なり
奈良の吉野山のものと同種のものである・・・(立看板より)